お茶の木の肥やしになるのだ
(【尾灯】写真) RICOH Quarterly HeadLine Vol.38 2023 Summer
静岡県には徳川の足跡が数多く残る。その一つが日本有数の茶畑だ。香りや味がよいお茶は古くから、京都宇治のように谷間で昼夜の寒暖差が大きい土地で育まれた。静岡県なら南アルプス山系の川筋。徳川家康が好んだお茶もそんな茶畑から生まれたが、今は少し様子が違う。新幹線の車窓から眺める茶畑は日当たりの良い牧之原台地に広がっている。牧之原台地は明治維新で禄を失った旧幕臣が勝海舟の援助もあって開拓した。徳川慶喜の護衛隊長だった中條景昭は神奈川県令(知事)を打診されたが断り、「山は下りぬ。お茶の木の肥やしになるのだ」と言ったという。当時、江戸時代の名残りで大井川に橋がなく、旧幕臣は対岸の島田に小舟で渡っていたが、あまりに危険だったため蓬莱橋が架けられた。今は世界一長い木橋としてギネスブックに載り、橋の袂(たもと)には勝海舟の像が立っている。(F)